退院から2年経ちました
2015-09-05


退院から2年経った最初の外来に行って来ました。

親の目から見ても、今までで最高に身体の調子がよさそうだし、本人の気持ちもとても前向きなのを感じます。先生も本当に元気になったねとおっしゃいました。

血液データは低空飛行ながら安定しています。数ヶ月前から白血球数のみ正常値になり???と思っていたら、基準値の下限が3300に変更されたからだと判明しました。

人間の感覚は不思議なもので数値は変わっていないのに、Lマークが付かなくなっただけで妙に安心してしまいます。ヘモグロビンや血小板の方にはLが付いたままですが、これも基準値が変われば元気になったように錯覚するのかも...(^_^;)

皮膚症状もまずまずなのでネオーラルがまた10r減って60rになりました。乾燥する冬に入る前に出来るだけ減らしておきたいなと思っていますがどうなることやら。

息子は前回書いた未来プロジェクトで仲良くなった学生さんたちと、11月にリレーマラソンを走る計画を立てています。インドアテニスも週2回に増やし、楽しみを兼ねた体力増進に取り組んでいます。

ここまでなるのに移植からざっと2年3ヶ月かかりました。先生の的確な薬のコントロールや本人ののんびりした性格や家族のサポートなどがうまく噛み合ったおかげだと振り返って思います。

退院後、ともすれば社会復帰を急ぎがちですが、移植患者にとってはこの長い療養期間をどのように過ごすかでその後の人生が変わってくると思います。

事情が許せば出来るだけ長くお休みをもらい、出来るだけ条件を緩和してもらって、社会へ復帰するに越したことはありません。まあ、それが許される人ばかりではありませんが、息子の場合はラッキーでしたね。

世間の認識はガンは手術したらよくなるといった程度で、血液がんのように移植後にさらなる困難が待ち受けているといったものではないでしょう。

職場の理解を得るために自分がどういう病気になり、どうしてこの長い療養期間が必要なのかをわかってもらうために、文書を書いて提出したりもしました。

今も上司から正社員に戻る気はないの?と聞かれたりもするそうですが、それはパワハラではなく経済的に心配してもらっている感じです(笑)長時間勤務への移行は息子の意志に任せてもらえているので、もう少しこのままの生活で様子をみたいと思います。

移植後、何度も再入院を繰り返し、なかなか社会復帰が果たせない人もたくさん見てきました。何もその人たちが特別に不摂生をしたりした訳ではありません。

職場の理解、身体の調子、薬のコントロール、いろんな条件とタイミングがうまく噛み合わないとなかなか難しいけれど、中にはうまくいっている人間もいるんだと気づき、いつかは自分もと希望を持ってほしいと思い書いています。

息子にはまずは次の3年という節目まで無事に過ごしてもらい、私はこのブログの更新記録を伸ばしていけたらと思います。
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